T-深谷's片麻痺blog

僕が2015年1月に脳卒中に倒れて障害者になってから、リハビリを通して障害者のQOL向上の為の市民活動を立ち上げるまでになった人生の備忘録です。

バットで頭を殴られたような痛みとはこの事か‼️

さて、車椅子タレント曽塚レナさんのブログを読んで読者になった事をキッカケに、僕も自身の抱える障害や取り組んでいる活動についてブログを残そうと思い立ち、今日がそのスタートです。みなさんよろしくお願いします。まずは僕が障害を負った原因となる脳卒中を患った日の事を覚えてる範囲で書きたいと思います。

 

それは2015年1月16日の寒い朝の事でした。

建築業の会社に勤める僕は朝も早く、この冬の寒い朝に目を覚まして起きると、そのままベッドサイドで着替えてから、ベッドに腰を掛けてお気に入りのタバコ、JPSで朝の一服をするのが日課でした。

しかしこの朝は着替えてベッドに腰を掛け、タバコに火を付けようとするなり、右のこめかみの辺りにとてつもない激痛が走りました。

(頭痛なんかで仕事休めないしなぁ)…と、普段強気の態度や言動をしていた僕はふとそんな事を思い浮かべながらベッドに腰を掛けたまま少し前かがみになって痛みに耐えます。

しかしその激痛は普段体験するような頭痛とはまるで異なりました。

それでも危機感の薄い僕の心は(所詮頭痛だから、こんな事で会社行けなかったらみっともねぇ)なんて思うばかり。そう思ってるうちに今度は激しい吐き気に襲われて、ベッドサイドの床に倒れ込むように四つん這いになり、そのまま嘔吐してしまいました。そこから意識は混濁してしまい記憶は断片的なのですが、次に記憶にあるのは仕事仲間でもあり小学校時代からの親友Tが、待ち合わせに来ない僕を心配して電話をしつこく掛けてくれた事です。それで意識を取り戻した時には、四つん這いに伏せた目の前の床に嘔吐してしまっている現状と、視界に赤い血の塊のようなものが見えるという事だけを理解し、僕はどうにか電話で親友Tに状況を説明しながら起き上がると、隣の部屋の姿見を見て、血の塊のようなものが見える目に何か異常が無いかを確認したのを覚えています。そこで外から見る分には目には異常が無い事と頭痛が少しだけ楽になっている事でいつもの僕を少しだけ取り戻し、まずは吐くほどの頭痛はおかしいので、連絡をくれていた友人Tにもう少し横になるとの事情を説明しつつも、ベッドで横になりながら、『頭痛・嘔吐』のキーワードでスマホで該当する症状を検索しました。すると、脳卒中の疑いがあるという事や、『バットで頭を殴られたような痛み』というキーワードが次々に見つかります。しかしその頃になっても、事の重大さよりも、ネットに出てくる症状に、『そう、そう、これ、これ』と思うだけで、次にどうするかなんて考える余裕まではありませんでした。むしろ、(もう少し寝たら治るっしょ?)くらいの風邪の酷いやつくらいの感覚でいました。

だけど、L現状を知らせた親友Tもググってくれたらしく、僕に何が起きているかを調べた事で、非常に心配し、電話を掛けてくれては生存確認と、すぐに病院へ行けとの心配をしてくれてました。この親友が居なかったら、僕は目を覚ます事なく、今ここにいなかったかもしれません。そして少し頭を冷やし、頭痛も治まった事で(よっしゃ、病院行くか)と病院へ愛車のアウディTTで行きますが、あいにく近所の総合病院は休診日で、市内の診療可能な病院のリストを紙で渡されました。そこで、リストに載っている病院の中でその総合病院から1番車で近い病院に向かう事にしました。受付を済ませ、診てもらうと、『風邪か何かでしょう』との事。ネットで調べてから来ただけに、『脳卒中なんて事もあるとスマホで調べたのですが…』と食い下がると、『うちには調べる設備がないから』との事、

(ダメだ。この爺さんあてになんないわ)

そう見切りをつけた僕は、ここでも救急車という選択肢ではなく、(はぁ…もう帰ろ。)ってなってしまいます。しかし仕事に穴を空けてしまったので、親友Tに経過を報告し、自宅駐車場に愛車を駐車して、運転席でまた少し休んだのでした。

すると車の窓がノックされ、そこには親友Tのお母さんが…窓を開けて応答すると、どうやら親友Tからの連絡で様子を見に来てくれたとの事でした。そして親友Tのお母さんからの提案でやっと父親と連絡を取り救急車を呼ぶ事になりました。救急車が到着する頃には父親から連絡を受けた母がタクシーで合流しており、救急車に自力で歩いて乗ったそこからその日の記憶はもうありません。皆さんも、いつもと違うと少しでも思ったら躊躇なく救急車を呼びましょうね。人生で、どんな重大な病が突然その身に降りかかるかわかりませんから。いつものように大丈夫、大丈夫、寝れば治るなんてノリだと取り返しがつかない事だってあるのです。